DJ Bar Inkstick
91年8月17日、公園通りのカンパリビル4階にあるDJバー・インクスティック。店のプロデュースをするDJの小林径さんに連れてきてもらった若杉さんは、ここで自身最初にして最後かつ最大の、渋谷系というものを全身で吸収することになったクラブイベントを体験したのだと述べます。
「すし詰め状態のエレベーターに運ばれ店のある4階のところでランプが止まると、視界に飛び込んできたのは黒山の人だかり。小林の後方につき人垣をかき分けていくと、そこで目のまえにいた一群がいっせいにこっちを振り向く。『あ、径さん』と言ったのはたしか小沢健二で、そのすぐ横の女の子がぼくを観るなり『あれ、田島くんの弟?』と言う。その声は、かつて『夕やけニャンニャン』でしか耳にしたことがなかった渡辺満里奈のものだった」
イベントの出演者は、小沢健二さん、小山田圭吾さん、小西康陽さん、高波敬太郎さん、サエキけんぞうさん、高橋健太郎さんら豪華なメンバー。そしてお客の大半は床に座り込み、オーケストラやストリングス、効果音がゆっくりと流れる方にみな顔を向けて、その音を聴いていたのだそうです。それまでヒップホップやレアグルーヴ、ディスコ系のクラブイベントしか知らなかった若杉さんにとって、そこで目の当たりにしたスタイルは衝撃的だったのだと言います。
同期のTちゃんは、のちの「渋谷系」と呼ばれる音楽やその周辺のものひっくるめたものすべてが大好きだった。彼女と仲良くなった私も大いに影響を受け、ピチカート・ファイヴ、小西康陽、フリッパーズギター、オリジナル・ラヴ、細野晴臣、高野寛なんかの名前をよく聴いた。細野さんに至っては「YMOの人を今さらなんで?」と思っていたが、そもそもピチカートは細野さんがプロデュースしてデビュー、その後もアルバム参加もあったりして縁が深いのであった。
のちの「渋谷系」の彼らは音楽活動もしていたけれど、音楽を紹介するっていうことも積極的にしていた。雑誌やレコードショップにおいてあるフリーペーパーやなんかで。
私とTちゃんはその紹介された音楽も次々聴くようになり、そのうち彼らが目の前でかけてくれるイベントが渋谷であるらしいよ!という情報を得て行ったのが前述の記事でも語られているDJイベントだった。
オープン時間ぐらいにカンパリビルへ行き、まぁまぁ並んで(・・・と思う)エレベーターで4階に上がり、すでにそこそこ熱気のあった店に入った。姿は見えないけれど音楽だけは聴こえ、その空間にとにかくいられたのが嬉しくて「これは歴史的イベントになるぞ。」となんとなく思った。
しかし実家暮らしだった私たち(しかも私は都内ではなかった)は、23時ぐらいには泣く泣く出ることに。おそらくそのあとが一番盛り上がったんだろうに・・・。
2人ともまだまだそういった遊びにも慣れてなかった。