Love 90s

個人的90年代懐古ニッキ

ブルーノート東京

ニューヨーク Blue Note を本店に持つジャズクラブ として、 1988年ブルーノート東京 は、東京・南青山・骨董通りにオープンした。今年ちょうど30周年だそうだ。

ブルーノートといえば、世界に名だたるビッグネームが演奏することで有名だ。 当時、渋谷系の流れでフリーソウル的な音楽も聴きかじり、もともとジャズもサウンドとして好きだったのと「あのニューヨークの有名クラブが東京に!」というミーハー心もあって「いつか行ってみたいなぁ」と思うまま数年がすぎていた。

残念ながら、最初に行ったライブが誰のものだったのかは明確には憶えていない。けれどその頃はジミー・スミスを代表する60'sのオルガンサウンドにハマっていたのでジミー・スミス来日!と知ってエイヤー!と行った気もする。

その頃はまだ骨董通りにあったそのクラブは、ビッグネームが演奏するにも関わらず、こじんまりとしていた。 ライブ会場は地下で席は基本自由。ロビーは1Fにあった。席が自由となれば早めに行ったもの勝ち。 受付時間を見越して早めに行ったつもりがすでに行列、最前列とは行かないがまぁまぁな席を陣取ることができた。 そもそもが小さめな会場、どの席でもミュージシャンが「豆粒」なんてことはなかった。 会場に入れてもすぐにライブが始まるわけではなく、お酒や食事を楽しむ時間、これは今も一緒。 とはいうものの、お財布が寂しい我ら小娘が注文できるのはドリンクとブルーノート名物スウィンギンポテトぐらい。そのクルリンとまるまった姿が珍しく楽しかった、そして美味しかった!

ミュージシャン(たち)はオーディエンスとおなじ階段を下り、客席の間を通ってステージにやってくる。道すがらオーディエンスの握手や声かけなどにも気軽に応じてくれた。ステージ真ん前に陣取っていた私たちは「あっち(通り道)のほうに座ればよかった!」と少し後悔したものの、楽しい雰囲気でいっぱいの会場にわくわくした。

初めてのジャズライブはその迫力や会場の雰囲気、何よりフレンドリーなミュージシャン!すっかり魅了され、とにかく「ホンモノだー!」と感動した。

大人の店らしくチケットもドリンクも食事も少々値が張ったものの、それから数年はちょくちょく通うようになった。時たま母親と行き、その時は食事をちゃっかりゴチになったりもした。 ジミー・スミス、MJQ、トミー・フラナガンハービー・ハンコックミシェル・ルグラン、そしてなぜかハワード・ジョーンズ。トンプソン・ツィンズも行ったような気もするしもっと行ってるはずなのだけど、・・・このぐらいしか思い出せない。 残念ながら90年代のアーカイブ的な情報はネットには出ておらずそれ以上は思い出せなかった。 MJQは気に入って2回行ったことだけは確か。

そして決して忘れられないエピソードがある。 1998年2月13日金曜日、その日は2度目のジミー・スミスのライブに行き、翌日バレンタインデーは過労で風邪をこじらせ入院していた父に、チョコでも持ってお見舞いするはずだった。 ところが日中、どうも容体がよくないようだと母から連絡が入る。けれどその日は大事なジミー・スミスのライブ(そしてチケットも決して安くない)だし明日お見舞い行くし・・・となんとなく楽観してたものの、夕方が近づくにつれなんとなくよくない気がしてきて、同期のTちゃんに相談。 当時はLINEとかないから携帯電話で連絡したと思う。彼女も感じるところがあったのか、チケットを引き取ってくれることになった、チケットとはいえ現地で受け付け、必要な情報さえ知っていれば受け取りができた。 仕事が終わると父の病院へ直行したが、すでに昏睡状態でまもなく息をひきとった。

ジミー・スミスはその後も何度か来日したこともあったと思うが、結局ライブに行けないままだった、数年後に彼も亡くなってしまった。

そのうちブルーノートは現在の場所に移転。移転後も何度か行ったこともあり、店舗内も居心地よくゆったりゴージャスになり、ライブも素晴らしかった記憶しかないけれど、やはり骨董通りのあの「ハコ」が良かったよなぁと思うのだ。

ポンキッキーズ

フジテレビ系の子ども向け番組『ポンキッキーズ』が、3月25日に放送終了を迎える。前身となった『ひらけ!ポンキッキ』の放送開始が1973年だから、約45年間にわたって放送されてきたことになる。

www.cinra.net

子どもの頃に見ていた「ひらけ!ポンキッキ」の後継番組として始まった「ポンキッキーズ」。 どんなきっかけでまた見るようになったのか憶えていないけれど、ウゴウゴルーガと同時期に放送していた期間もあったので、その流れだったような気がする。 詳細を思い出そうとちょっと調べると、放送開始時は女優の高畑淳子演じる山田のぼるくんというキャラクターとパペットキャラクターの海田およぐ教授がMCだった。山田のぼるくんはうっすら思い出せたものの教授に至ってはほとんど記憶にない・・・。

私にとってポンキッキーズのMCといえばピエールにBOSE、そして当時かけだしアイドルだったアムロちゃんと鈴木蘭々シスターラビッツだった。 オープニングの "Welcome to Ponkickies" はスチャダラパーの "GET UP AND DANCE"( スチャダラパー "GET UP AND DANCE" - YouTube )で、子ども番組らしからぬノリのよさとカッコよさ。毎日番組が始まると一緒になって「パーパラパッパパラ♪」とやっては元気をもらっていたものだった。

もともとポンキッキはオリジナル楽曲でも名曲が多く、「およげ!たいやきくん」「いっぽんでもにんじん」「パタパタママ」「コンピューターおばあちゃん」と上げればキリがないけれど、あくまで子どものための子ども向けの曲ばかりだった。 ポンキッキーズでは子どもに向けたメッセージといえなくもないけれど、もっとユニバーサルというか「大人も子どももない」といった楽曲が多かった。 特に印象に残っているのはオープニング曲でもあった「パレード」(山下達郎)、すっかり定番曲ともなってしまった「歩いて帰ろう」(斉藤和義)、ラインダンスとの組み合わせが楽しかった「夏の決心」(大江千里)。その他大御所や意外なアーティストがこの番組用に曲を提供していた。今をときめく三浦大知のFolder時代のデビュー曲の「パラーシューター」もポンキッキーズで繰り返し流れていた。この番組でFolderをすっかり気に入り、その後アルバムを何枚か買った。 もちろん子ども向け曲も健在でシスターラビッツが歌う「一寸桃金太郎」をはじめとする「耳に残ってしまう童謡メドレー」は秀逸だった。 その他詳しくはポンキッキーズ - Wikipedia で。

もちろんポンキッキーズといえば「ガチャピンムック」で、彼らも私の子どもの頃と変わらず「良い子のガチャピン」「おとぼけムック」なのだった。 ただ、今でも語り草になる「ガチャピンチャレンジ」(ガチャピン チャレンジ シリーズ☆コンプリートボックス - YouTube)はポンキッキーズ以降のもの。子どもの頃知っていたガチャピンとは明らかに違う方向に行ってしまった彼だったけど、どんどんエスカレートしていくチャレンジは毎回楽しみにしていたのだった。

こう改めて思い出してみると(忘れていたもの含め)ポンキッキーズは半分音楽番組として見ていたのかもなぁとつくづく。この番組で知ったミュージシャンもいたし、再発見した曲も多かった。

そういえば初めて聴いたビートルズ( "Please Please Me" )は前身ポンキッキだった。

ウゴウゴルーガ

1992年10月、早朝6:10開始と子ども番組にしては少々早めの時間帯に放送していた「ウゴウゴ・ルーガ」。 当時実家暮らしの1時間半通勤。6時に起き、7時台の電車に乗って出勤していたため、朝起きてでかけるまでのあいだ、起きてくる家族もいなかったのでゆうゆうと見ていた。何をきっかけに見だしたかは覚えてないけれどおそらく初回から普通に見てハマってしまい、朝見るけれど録画しておいて帰ってからまた見る、ってことをしていた。

当時かなり斬新な3DCGのバーチャルスタジオがメインでMC役はCGキャラクターのテレビくん。 日替わりで奇抜でポップな衣装を身につけた子役のウゴウゴくんとルーガちゃんがテレビくんの方を向いて体育座りしているのがお決まりのオープニング、その後ウゴウゴ&ルーガとテレビくんとの掛け合いが始まる。その内容も子ども子どもしたものではなく、大人と子どものちょっと噛み合わない会話で、しばしば子どもたちが意味がわからずキョトンとしたり、適当に解釈してしまうそのギャップが面白かった。

バーチャルスタジオのコーナーでは日替わりでさまざまなキャラクターが登場。シュールくんは子どもたちにフランス語を教え、トマトちゃんは悩みを相談し、よく泣いた。個性的なキャラクターはスタッフが声を務めていたらしい。 その他ミカンせいじん(ミカンに手足が生えたような宇宙人の様子をただ流すだけ)、がんばれまさおくん(まさおくんというキャラクターが毎回悲惨な目にあうだけ)、おやじむし(ハゲオヤジが虫になったようなキャラクターがいかにもおやじくさいことを言うだけ)、プリプリはかせ(洋式便器の中から出てきてうんちくを披露したあと流されてしまうだけ)、などなど数秒〜数分の短いコーナーにはこういったCGキャラクターが次々登場した。

他にも印象深かったコーナーは - あさのぶんがく - 局アナであった大坪千夏のナレーションで名作を1週間で1作品を駆け足で紹介。学校でタイトルだけ習って、内容がよくわかってなかったような作品「変身」「罪と罰」「アンナ・カレーニナ」などなどが紹介された。ただ相当長い話をダイジェストしていたので「AとBが出会って、喧嘩して、別れて、死んじゃいました」と文脈全くないことが多々ありシュールだったけど、そういう話だったのか!と、わかった気になった。 - おしえて!えらいひと - さまざまな道のエキスパートの方が登場し、子どもにもわかるように説明してくれる。ある意味子ども番組らしいコーナー。時に変わった職業の方も登場しなかなか面白かった。

改めて調べてみると6時台の放送はたった半年、その後7時台に移動(この頃ポンキッキーズ開始)その半年後には朝の放送に加えて夜の7時台に生放送を何回か(このときの主題歌としてピチカート・ファイヴが「東京は夜の7時」を作った、初お披露目は東京タワーのふもとで生歌だったと記憶)、その後半年で終了しているので、実放送としてはたった1年半! こう書いてしまうと意外とアッサリ終わってしまったのだなぁと思うけれど、平日毎日放送があったのでその濃さはそうとうな1年半だった。

ウゴウゴルーガ 公式サイト

シネマライズ渋谷

言わずと知れたミニシアターの先駆けであり聖地。
渋谷スペイン坂のてっぺんの映画館はお気に入りで、足繁く通ったものだった。
最初地階フロア1スクリーンだったのが2階ができて2スクリーンになり、裏にもう1つスクリーン(ライズX)ができた。
新作は席数が多い2階で封切られ、次のが来ると下に降りた。レイトショーの企画もなかなか素敵でちょくちょく行ったし、日曜の最終回は1,000円だったので出来るだけその回に行くようにもした。 残念ながら2016年1月7日に閉館。

一番行列していた印象があるのは「ポンヌフの恋人」、ブームになったのは「アメリ」。
お気に入りの席は2階の席の一番前だった。

どれだけ観たのかリストしてみた。 (40以降は2000年代)

シネマライズ

  1. 汚れた血 - シネマライズ オフィシャルサイト
  2. バグダッド・カフェ - シネマライズ オフィシャルサイト
  3. ロザリー・ゴーズ・ショッピング - シネマライズ オフィシャルサイト
  4. マイ・レフトフット - シネマライズ オフィシャルサイト
  5. コックと泥棒、その妻と愛人 - シネマライズ オフィシャルサイト
  6. ドラッグストア・カウボーイ - シネマライズ オフィシャルサイト
  7. メルシー・ラ・ヴィ - シネマライズ オフィシャルサイト
  8. グリフターズ - シネマライズ オフィシャルサイト
  9. ポンヌフの恋人 - シネマライズ オフィシャルサイト
  10. エドワードⅡ - シネマライズ オフィシャルサイト
  11. ハイヒール - シネマライズ オフィシャルサイト
  12. ジョニー・スエード - シネマライズ オフィシャルサイト
  13. レザボアドッグス - シネマライズ オフィシャルサイト
  14. 野性の夜に - シネマライズ オフィシャルサイト
  15. イレイザーヘッド[完全版] - シネマライズ オフィシャルサイト
  16. 春にして君を想う - シネマライズ オフィシャルサイト
  17. アリゾナ・ドリーム - シネマライズ オフィシャルサイト
  18. カウガール・ブルース - シネマライズ オフィシャルサイト
  19. ミナ - シネマライズ オフィシャルサイト
  20. うたかたの日々 - シネマライズ オフィシャルサイト
  21. カストラート - シネマライズ オフィシャルサイト
  22. バスケットボール・ダイアリーズ - シネマライズ オフィシャルサイト
  23. ロスト・チルドレン - シネマライズ オフィシャルサイト
  24. アンダーグラウンド - シネマライズ オフィシャルサイト
  25. 天使の涙 - シネマライズ オフィシャルサイト
  26. シクロ - シネマライズ オフィシャルサイト
  27. ファーゴ - シネマライズ オフィシャルサイト
  28. トレインスポッティング - シネマライズ オフィシャルサイト
  29. ラブ・セレナーデ - シネマライズ オフィシャルサイト
  30. シド アンド ナンシー - シネマライズ オフィシャルサイト
  31. ピーター・グリーナウェイの枕草子 - シネマライズ オフィシャルサイト
  32. ラリー・フリント - シネマライズ オフィシャルサイト
  33. ファーゴ - シネマライズ オフィシャルサイト
  34. スウィート・ヒアアフター - シネマライズ オフィシャルサイト
  35. イヤー・オブ・ザ・ホース - シネマライズ オフィシャルサイト
  36. ガンモ - シネマライズ オフィシャルサイト
  37. ビッグ・リボウスキ - シネマライズ オフィシャルサイト
  38. ベルベット・ゴールドマイン - シネマライズ オフィシャルサイト
  39. ラン・ローラ・ラン - シネマライズ オフィシャルサイト
  40. ポーラX - シネマライズ オフィシャルサイト
  41. ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ - シネマライズ オフィシャルサイト
  42. ヴァージン・スーサイズ - シネマライズ オフィシャルサイト
  43. ボーイズ・ドント・クライ - シネマライズ オフィシャルサイト
  44. チアーズ! - シネマライズ オフィシャルサイト
  45. 夜になるまえに - シネマライズ オフィシャルサイト
  46. リリイ・シュシュのすべて - シネマライズ オフィシャルサイト
  47. アメリ - シネマライズ オフィシャルサイト
  48. あのころ僕らは - シネマライズ オフィシャルサイト
  49. ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ - シネマライズ オフィシャルサイト
  50. 青い春 - シネマライズ オフィシャルサイト
  51. ピンポン - シネマライズ オフィシャルサイト
  52. DOGTOWN & Z-BOYS - シネマライズ オフィシャルサイト
  53. まぼろし - シネマライズ オフィシャルサイト
  54. 8人の女たち - シネマライズ オフィシャルサイト
  55. 僕のスウィング - シネマライズ オフィシャルサイト
  56. 歓楽通り - シネマライズ オフィシャルサイト
  57. モーヴァン - シネマライズ オフィシャルサイト
  58. ギャングスター・ナンバー1 - シネマライズ オフィシャルサイト
  59. ホテル・ハイビスカス - シネマライズ オフィシャルサイト
  60. エデンより彼方に - シネマライズ オフィシャルサイト
  61. キャンディ - シネマライズ オフィシャルサイト
  62. アダプテーション - シネマライズ オフィシャルサイト
  63. リード・マイ・リップス - シネマライズ オフィシャルサイト
  64. 木更津キャッツアイ 日本シリーズ - シネマライズ オフィシャルサイト
  65. ブラウン・バニー - シネマライズ オフィシャルサイト
  66. こまねこ - シネマライズ オフィシャルサイト
  67. ロスト・イン・トランスレーション - シネマライズ オフィシャルサイト
  68. スイミング・プール - シネマライズ オフィシャルサイト
  69. 茶の味 - シネマライズ オフィシャルサイト
  70. モンスター - シネマライズ オフィシャルサイト
  71. 雲のむこう、約束の場所 - シネマライズ オフィシャルサイト
  72. 真夜中の弥次さん喜多さん - シネマライズ オフィシャルサイト
  73. メゾン・ド・ヒミコ - シネマライズ オフィシャルサイト

video.unext.jp

DJ Bar Inkstick

91年8月17日、公園通りのカンパリビル4階にあるDJバー・インクスティック。店のプロデュースをするDJの小林径さんに連れてきてもらった若杉さんは、ここで自身最初にして最後かつ最大の、渋谷系というものを全身で吸収することになったクラブイベントを体験したのだと述べます。

「すし詰め状態のエレベーターに運ばれ店のある4階のところでランプが止まると、視界に飛び込んできたのは黒山の人だかり。小林の後方につき人垣をかき分けていくと、そこで目のまえにいた一群がいっせいにこっちを振り向く。『あ、径さん』と言ったのはたしか小沢健二で、そのすぐ横の女の子がぼくを観るなり『あれ、田島くんの弟?』と言う。その声は、かつて『夕やけニャンニャン』でしか耳にしたことがなかった渡辺満里奈のものだった」

イベントの出演者は、小沢健二さん、小山田圭吾さん、小西康陽さん、高波敬太郎さん、サエキけんぞうさん、高橋健太郎さんら豪華なメンバー。そしてお客の大半は床に座り込み、オーケストラやストリングス、効果音がゆっくりと流れる方にみな顔を向けて、その音を聴いていたのだそうです。それまでヒップホップやレアグルーヴ、ディスコ系のクラブイベントしか知らなかった若杉さんにとって、そこで目の当たりにしたスタイルは衝撃的だったのだと言います。

「渋谷系」とは一体何だったのか - ニュース|BOOKSTAND(ブックスタンド)

同期のTちゃんは、のちの「渋谷系」と呼ばれる音楽やその周辺のものひっくるめたものすべてが大好きだった。彼女と仲良くなった私も大いに影響を受け、ピチカート・ファイヴ小西康陽フリッパーズギターオリジナル・ラヴ細野晴臣高野寛なんかの名前をよく聴いた。細野さんに至っては「YMOの人を今さらなんで?」と思っていたが、そもそもピチカートは細野さんがプロデュースしてデビュー、その後もアルバム参加もあったりして縁が深いのであった。

のちの「渋谷系」の彼らは音楽活動もしていたけれど、音楽を紹介するっていうことも積極的にしていた。雑誌やレコードショップにおいてあるフリーペーパーやなんかで。

私とTちゃんはその紹介された音楽も次々聴くようになり、そのうち彼らが目の前でかけてくれるイベントが渋谷であるらしいよ!という情報を得て行ったのが前述の記事でも語られているDJイベントだった。

オープン時間ぐらいにカンパリビルへ行き、まぁまぁ並んで(・・・と思う)エレベーターで4階に上がり、すでにそこそこ熱気のあった店に入った。姿は見えないけれど音楽だけは聴こえ、その空間にとにかくいられたのが嬉しくて「これは歴史的イベントになるぞ。」となんとなく思った。

しかし実家暮らしだった私たち(しかも私は都内ではなかった)は、23時ぐらいには泣く泣く出ることに。おそらくそのあとが一番盛り上がったんだろうに・・・。

2人ともまだまだそういった遊びにも慣れてなかった。

90年代を保存したくなって

平成も来年で終わり。

思えば平成の始まりは90年代の始まりでもあったわけで、それから30年近く。

ついこのあいだのことで、いつまでも「あの頃の渋谷は・・・。」などと記憶しておけるつもりでいたけれど、あの場所この場所、あの人この人、あれやこれやと閉まったり終わったりと何だかさみしい限り。

自分の記憶すら怪しい、というか忘れていることや記憶違いも少なくない。

平成も終わるというこの年に、全部忘れてしまう前に、愛すべき90年代を整理して残しておきたい欲求がうわーっと盛り上がり、つらつらと書いておこうかなと思いたった。

気のすむまで書き続けられるといいのだけれど。